貸金の元巨人、武富士が倒産して1年が過ぎた。
現在、会社更生法に基づいて営業は続けているが、ホームページを見ても勢いや成長を関させるものは微塵も感じない。去るもの日日疎し、といった風情だ。
2010年6月には総量規制も始まり、年収の3分の1以上は借入ができなくなった。これまで以上に狭まった市場で他社と凌ぎを削るのは並大抵のことではないだろう。
武富士は会社更生法の適用を受け、資産は軒並み任意売却となったようだ(競売になっていないことから広義での任意売却と考えている)。しかし、世間からみれば優良の不動産も、なかなかすんなり高値で売却とはならなかったようだ。
最近は、テレビでも、この任意売却119番という、住宅ローン支払困難、競売お悩み解放ってサイトを運営している会社の紹介を最近はよく見る。
そもそも、過払い請求で還付義務のある“負債”まで付けて売却しようとした経緯や、入札の対象を絞ったことから価格は時価を大幅に毀損したようだ。京都の物件は2回もの入札で買い手がないと聞く。
武富士は、同業他社の無人契約機が雪崩をうって登場した際、自社は「Yen結び」を提供し、ダンスユニットを使った斬新なCMで世間にその名を轟かせた。それまでどこか後ろ暗いイメージであった、消費者金融を一気に身近のしたことは今も記憶に新しい。
武富士の創始者は武井保雄。”団地金融”は今では死語だが、高度成長期に増殖した団地妻相手に高利貸しをした60年代が発祥だ。一代でこの金融代会社を築き上げた。日本経済が低迷の一途を辿っていた98年に東証一部上場、翌々年にはロンドン市場にまで上場している。
2000年前半頃の武富士は押しも押されもせぬ、金融の巨人だったことは間違いない。財務体質は超がつくほどの優等生で、配当利回りは5パーセント以上、たしか無借金経営だった。当時、不良債権処理に青色吐息だった銀行を尻目に、市場では花形的な存在だった。
それが一転、裁判でグレーゾーン金利が違法となるや、今まで債務者が払ってきた払いすぎの金利(過払い金)の請求が全国から同時多発し、その対応に追われることになった。急転直下とはこのことだろう。借金で首が回らなかった人間が一瞬にして巨象の『債権者』となったのだから。
最近は下火だが、司法書士の過払い金請求営業も賑やかだった。一時は弁護士がクレームをつけるほど司法書士の活況を見た。寝た子だった多重債務者が知恵をつけて武富士の息の根を止めた。武富士の肩を持つ気は毛頭ないが、それまで暗黙の了解ではあるものの、合法的な取引だったはずものがある日突然「法律違反」とされた。違反した分を過去に遡って、しかも利息までつけて返せ、と迫られた。これでは手も足も出ないはずだ。
結果、武富士は会社の存続が危うくなり、倒産して資産を順次売却することになった訳だ。当然、株主の資産は紙くずとなった。そして先述の通り、資産売却の結果のほとんどが透明性のある売却とは言えない。得体の知れぬ外資などが優良資産を不当なほどに安い金額で買い取ったのだから。
結局、グレーゾーン金利の撤廃自体は評価するが、このやり方が日本社会にとって有益だったのかどうかはおおいに疑問のあるところだ。
最終的に武富士が受けた過払い金請求の総額は、1兆3800億円規模にまで膨らんだ。今年7月には、過払い返還金などの「債権者」への弁済率を3.3%とする、会社更生計画案を東京地裁に提出している。過払い請求も結局、早い者勝ちでゲーム終了である。
結局、金に困った人は借りる先も金額も大きく制限を受けたために、いわゆるマチ金・・・非合法な貸付に手を出していることが増えている。そして、過払い金請求で活況を見たはずの司法書士、弁護士たちとにわか債権者との間に多くのトラブルが表面化し、士業に対する世間の目は冷めた(ある意味、覚めた?)ようだ。
一連の騒動で日本社会に閉塞感と不信を一層深める結果になった、と思うのは私だけだろうか。
武富士の倒産と任意売却考察
12月 15th, 2011
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